お久しぶりです

いや〜飽きたよね、ブログ笑

まぁでもここは何か思いついたり、閃きを気楽に記録しておけるようにと考えた保管庫的な所なのでよいのです。

んで、いきなりなんですけど、Twitterをしていてつい先日から人間の本質について考えさせられることがございましてね。

あの人は八方美人だとか、長い物に巻かれるだとか、強者に寝返るだとか…etc

 Twitterって性格も性別も顔も知らん、年齢不詳の人との関わりがあって分け隔てなく交流出来ることが、 TwitterというSNSが利用し易い、使っていて楽しいというポイントの一つだと考えます。

仲ようなったつもりで、良かれと思いやったことが相手の逆鱗に触れるなど誰もが一度は経験したことがあると思います。

物理的にも心理的にも距離感がイマイチ掴みづらく、トラブルに巻き込まれやすいというリスクも抱えている。ということを理解した人でなければ、深い傷を負って苦しむこともあるかと思います。

まぁ、この話は前置きとしまして…

ドラえもんの秘密道具の一つに「ひょうろんロボット」といふものがあるのはご存知でしょうか。

このロボに絵でもなんでも作品を見せると「イー!イー!」と絶叫し、周囲の人間に素晴らしい作品であると思い込ませてしまう秘密道具です。

しかもこのひょうろんロボットの意見は絶対らしいです。

 

なんかちょっと前から現在、実現されたドラえもんの秘密道具「おこのみボックス」としてiPadiPhoneスマートフォンがそれに該当するのではないかとネットで話題になりました。

他にも色々とあるのですが

このひょうろんロボット、言ってしまえば Twitterとほぼ同じような機能なのかなぁと思いました。

もちろん、なんでも「イー!」と言ってくれるわけではないし、もちろんツイート内容、作品など、本当に「イー!」ものもあるかと思います。

しかしこの「イー!」全くアテにならないどころか、ちょっとした軽犯罪まで助長させてしまう非常に厄介な物になってしまうこともしばしば…。

そのイーを鵜呑みにして、少し天狗になってみたり。

そのイー欲しさに、らしくないことをやってみたり。

SNSといふものは、ドラえもんの世界での夢や希望に包まれた優しさを、現実世界でのひょうろんロボットであるTwitterのギャップと比較して揶揄し表現したようなものだと考えてます。

本当に便利な使い方もあるんですけどね〜。

こんなふうに人はみんなゆる〜く世界と繋がってる。

みんな同じ、同じなんだから。あんまり孤独ってものを感じなくても良いと思うんだよなぁ。

上手に楽しく使おうよ、バカッター拡声器。

YES. Alfred Adler

この歳で自己啓発書の類はもう吸収できんやろと、高を括りながらも何気なく手に取った一冊。

すごいの一言。

この書籍に出会えたことは幸運だった。

きっと、誰から諭されようとも到達し得ない領域だったので、思考の基盤が一気にふっとんだ。

単一方向的な考え方に陥る理由や

その思考や感情も間違いじゃなく人間として当然だということを知り

一気に報われた。

毎日が楽しくないのは仕事のせいでも大人になったからでもない

楽しくないことに理由をつけて

勝手にそれに縛られていただけ。

やりたいことが出来ないのは時間がないからじゃなくて、踏み出せないからじゃなくて、やらなくていいから。

何かのせいにするのは、その枷がなければ

自由に出来るのにと言っているようなもの。

事実その枷と思っていた物を失くして何が出来るか考えたら、今よりも状況が悪化するんじゃないか?

他人のせい。仕事のせい。社会のせい。国のせい。

何のせいにしたって、何か達成したい目的を実行出来ないことに理由をつけたり、ストレスを感じたりしなくても良い

何かのせいにすることを止めるだけ。

最初から壁なんてなかった。

自分は自分であって良かった。

心からそう思えた。

星霜、誘う

僕の今までで最大の喜びは

世界の歴史で何番目?

僕の今までで最大の苦しみは

君と比べて少ないかな?

と台詞みたいな歌詞がブッ込まれる星霜、誘うのフレーズすこすこ。

それを「こんな馬鹿げた質問と、たいして

変わらねえだろう、ぼくらの社会は。」

と取り留めのない質問、どうしようもない、答えの出ない…etcと「社会」を揶揄してるしているように感じられる。

そうほんとに社会なんてくだらない。

生きていく上で欠かせないものかもしれないけど、椅子の上で眠る猫にはそんなこと関係のない話。

息をのむほどの夕焼けに感動することができる人間という生き物。

同じ人間だけど、各々目的があって進まなければならない。

夕焼けの綺麗さに感動する優しい心を持つ、残酷な競争社会で生活させられる人間の反する面の違い。社会なんてくだらない薄皮一枚剥げば、世界は素晴らしい。

ということを忘れてはいけないよって歌だと思います。

 

生きるために働いて嫌になった時、だけどそれは猫にとって何の関係もない話。

 

藍坊主「星霜、誘う」

https://youtu.be/4viL6UWjCaU

 

とことん推してくぜぇ〜

 

弱くても誰かの何かになりたくて

「ウズラ」

https://youtu.be/R7fBtupV04I

 

家族の温かさを思い出させてくれる

「スプーン」

https://youtu.be/EPP-CTrQum8

 

ノスタルジックの世界から抜け出せない

そんな大人へ前を向く力をくれます

「向日葵」

https://youtu.be/3ti7_1B0SGk

すきなもの

かれこれ15年ほど前から藍坊主のファンでして

もうね、ずっと好きなんですよねー

 

高校生の時に好き過ぎてファンサイト作ったくらいにして

画像やら歌詞やら無断で掲載してたクソみたいなホームページでしたが

藍坊主のマネージャーさんに

著作権の侵害になるのでやめていただけませんか?」

とサイトを通して連絡が来てやめました。

今でもいらっしゃるマネージャーさんなので

多分ガチのやつだと思います。

TVとかメディアの出演とかは控えてるのかな?

あまりお目にかかれたことはない。

TV出たら絶賛されること間違いないと思いますが、そこをしないのが藍坊主の良さだと勝手に思っとります。

 

なんか好きとか嫌いとかって年齢とともに

移り変わったりするものじゃないですか

でも藍坊主はずっと好き。

私は基本自分に自信がないけれど

10年以上ずっと好きだったという事実は

少しだけ私に勇気をくれます。

 

このブログを通して少しでも多くの方に

藍坊主の良さを知っていただけたなら

それはもう幸せの絶頂と言えるでしょう。

さまざまな悩みや困難を抱えている人に

必ず答えをくれることと信じています。

https://youtu.be/xewre7O5Z0U

レタス

天気の良い日に外出出来たり

何か広大な景色を見たり

心が揺れ動いた瞬間

その感動を初めて体験した時のような

感覚と再会できそうなことが

たまーにあったりする。

 

成人になることで忘れた感覚

何事にも物怖じすることなく

飛び込んで体験してみたいと思った

好奇心に満ち溢れていた頃の自分が

たまに顔を出しては秒の速さで消えていく

 

研修に参加して知識を得た感動

ライブで好きなアーティストを見た時の感動

初めて行く場所で初めての体験をした感動

 

どれもこれもいずれ消えていく感動

そう諦めて毎日を過ごしているから余計新しい感動にお目にかかれることは滅多にない

継続させる方法をずっと探している

 

思い出に埋もれ感動が消えてしまう前にずっと余韻に浸っていたいけど

新しい自分を探したいから忘れてしまうのかなーと考えるようになりました。

忘れなきゃ前に進むことをやめてしまうのかも知れないし。

 

でも人間って不思議なもんで

嫌なことはずっと忘れないようになってんのね

良く言えば同じ失敗をしないための防衛反応なんだろうけど。

自分の場合は年齢とともにその防衛反応アンテナがビンビンになってくんのよねー。

それらをバッキバキにぶっ壊してやれたら

楽しい余韻にもずっと浸ってられるような気もする。ちょっと怖いけどね。

 

少しだけ面倒なことにも飛び込んでみよう。

自分にとってはそういうことを

「がんばる」っていうことにしよう。

奇数は鋭く偶数は丸い感覚

ドレミのドと言えば

ドーナツを連想される方は

そう少なくないはず

それは

「ドはドーナツのドって」

昔っから刷り込まれてるからかもしれないし

 

火曜日と聞くと無意識に赤い文字で書かれていることを想像してしまったり

火って漢字がつくから赤色は当たり前じゃない?

って思う方もいるかもしれない。

 

だけどその「火」という漢字を見て赤い色を連想するって100人中100人じゃないと思う。

 

こういう感覚って「共感覚」というもので

(正確な定義は少し曖昧なので語弊があるかもしれません。)

私は「マジカルバナナ(笑)」で言う所の

なんとなく言ってることはわかるけど

正解ではないぞと

万人がそうとは限らないという感覚と認識しています。設定が大分緩いんですけど(笑)

 

普段は無意識に感じているから

あまり気付くことはないみたい。

本人にとっちゃ当たり前ですからね。

 

この自分の中での当たり前を

他人とのやり取りの中で

無意識に絶妙に擦り合わせていくって

すごい事と思いません?

 

他人とのやり取りの中で

「あ、この人はちょっと違うな」

とか

「感覚が似てるなぁ」

とか

そういうこと考えながらコミュニケーションする人ってあんまりいないと思う。

 

何が言いたいかと言いますと

家族であったり、友人であったり、恋人であったり、共感覚の共有が出来る間柄って素晴らしいな

と改めて思うわけです。

 

共感覚というワードに強い関心を示すようになったのは、あるアーティストさんから感銘を受けたことがきっかけなのですが

こういう発想が出来るってすごいなぁと思いました。

好きな言葉や音楽や歌、映像、ゲーム...など

趣味、嗜好が同じで、さらにその中から

こういう所が好きっていう感覚を共有出来たのなら

それは奇跡に近いものがあるんじゃないかと思います。

こう考えると

誰かと接点を持つ時に少しだけその人との時間を大事に出来たり

考えを大切にしようとか思えるんじゃないかなぁと思いました。

思うだけですぐ忘れちゃうんですけどね(笑)

ホント、思うだけで全然行動に移せない

大口叩いておいて器の小さい人間です。

書き留めることで少しでも寛容になれれば

という願望も込めて…。